歴史
ジョン・ハリソンとH4――時間を「座標」に変えた機械
18世紀、船は自分がどれほど北や南にいるかを、ある程度正確に知ることができた。恐ろしかったのは東西方向だった。どれほど東へ、あるいは西へ流されたのか。その難題に答えたのは、英国の一人の木工職人が作り上げた、時計史に残る異様なまでに精密な機械だった。

18世紀のある夜、大西洋の上にいると想像してみよう。
衛星はない。無線もない。GPSもない。海図の上に現在地を示す光る点など、もちろん存在しない。あるのは暗闇と風、きしむ船体、そしてどこまでも続く海だけだ。
船長は空を見ることができる。太陽の高度を測り、星と航海表を使えば、緯度――つまり自分がどれほど北か南にいるか――はかなり把握できる。
問題は経度だった。
陸地は皆が思っているよりずっと近いかもしれない。逆に、船は想定より何百キロも東へ流されているかもしれない。わずかな誤差が、島を通り過ぎ、港を見失い、最悪の場合は夜の海で突然海岸線に出会うことにつながる。
この問題は何世紀にもわたり、天文学者、航海士、数学者、そして国家を悩ませた。そして実用的な解決策は、あまりにも単純に聞こえる一つのことに集約されていく。正確な時刻を知ることだった。
海には「正しい時計」が必要だった
考え方そのものは分かっていた。地球は約24時間で360度回転する。つまり1時間の時差は経度15度、4分なら1度に相当する。
航海士が太陽から現地の正午を求める一方で、経度が分かっている基準地点の正確な時刻を船内に保つことができれば、その差から東西方向の位置を計算できる。
理屈だけなら美しいほど単純だ。難しいのは「正確な」という一語だった。
赤道付近では、時間の4秒の誤差がおよそ1海里の経度誤差に相当する。毎日少しずつ狂う時計なら、数週間の航海の後には、その小さな機械的誤差が深刻な位置のずれになる。
しかも18世紀の時計には、強敵がいた。海そのもの、そして船の動きだ。陸上の家なら優秀な振り子時計も、船の上では条件が違う。船は揺れ、傾き、嵐に打たれ、英国からカリブ海へ向かう間に温度も湿度も大きく変わる。
時計は工房の静けさを離れ、海の上で生き残れる機械にならなければならなかった。
1714年、英国議会はLongitude Actによって、この問題を国家的な課題にした。海上で経度を十分な精度で求める方法には高額な報奨金が用意された。時代は違うが、18世紀版の宇宙開発競争と呼びたくなるほどの挑戦だった。
そこへ現れたのがジョン・ハリソンである。

天文学者たちの前に現れた木工職人
ジョン・ハリソンは、当時最大級の科学的難問を解く人物として、いかにも「それらしい」経歴を持っていたわけではない。1693年生まれ。職人としては木工に携わり、時計作りの多くを独学で身につけた。
ただし、彼には珍しい資質があった。機械の動きを深く理解する力と、「昔からそうなのだから仕方がない」という説明を受け入れない頑固さである。
H1、H2、H3。彼は次々に巨大で複雑な試作機を作った。目的は一貫していた。船の揺れ、摩擦、温度変化から時間計測を切り離すこと。
H3には長い年月を費やした。しかし、その途中でハリソンの発想は変わっていく。海の問題を解くには、さらに大きな機械が必要なのではない。むしろ小さくするべきなのではないか。
1753年、ロンドンの時計職人John Jefferysが、ハリソンの考えを取り入れた懐中時計を製作した。その性能は非常に有望で、ハリソンは何十年も続けてきた「大きな海洋時計」という方向を見直し始める。
海上精密時計の未来は、船に据え付ける巨大な装置ではないかもしれない。大きくした懐中時計のような姿になるのかもしれない。
1755年、H4の製作が始まった。完成は1759年。
H4――懐中時計としては巨大、革命としては驚くほど小さい
H1、H2、H3と並べると、H4の姿は意外なほど異質だ。航海用の機械には見えない。懐中時計を無理やり大きくしたように見える。
National Maritime Museumの記録では、文字盤は直径102ミリ、全体は165 × 124 × 28ミリ、重量は約1.45キロ。内部には真鍮、鋼、銀、ダイヤモンド、ルビー、銅、エナメル、ガラスが使われている。
だが本当に重要なのは大きさではない。ハリソンがその中に何を詰め込んだかだ。
H4は、機械式時計の精度を乱す主要な要因――駆動力の変化、温度、摩擦、外乱、等時性の問題――に対する複数の解決策を一つにまとめた。奇跡的な一発の発明ではない。精密なシステムだった。

摩擦の場所に、ダイヤモンドを置く
H4は、古いverge escapement(スピンドル脱進機)を大幅に改良した方式を採用している。ハリソンはその幾何学を見直し、小さなダイヤモンド製パレットを使った。
宝飾のためではない。時計の内部では、接触する一つ一つの面が精度に関わる。摩擦はエネルギーを奪い、摩耗を生み、歩度を変える。非常に硬く、精密に仕上げられたダイヤモンドは、その接触を制御するための技術材料だった。
この選択はあまりに特異で、数世紀後には顕微鏡や回折分析を用いた研究対象になった。Annals of Scienceに掲載された研究では、H4のダイヤモンドパレットは、ダイヤモンドをハイテク材料として用いた非常に早い例として扱われている。
だからといって、H4が潤滑不要の魔法の機械だったわけではない。油も必要だったし、摩耗もする。整備も調整も必要だ。ハリソンが達成したのは、不完全さを消すことではなく、不完全さを徹底して管理することだった。
感じさせてはいけない「力の変化」
ぜんまいを動力にする機械式時計には、基本的な問題がある。主ぜんまいはエネルギーを蓄えるが、完全に巻き上がった状態と、ほどけ切る直前では、同じ力を出すわけではない。
H4はfusee(フュゼ、鎖引き)を使ってこの変化を補正した。ぜんまいの力が変わるにつれて、フュゼの形状が機械的なてこ比を変え、輪列に届く力をならしていく。
さらに、巻き上げ中も時計を止めないmaintaining power、そして輪列の不規則な力から調速機をさらに切り離すremontoireも組み込まれた。
高精度の時計では、エネルギーがあるだけでは足りない。できるだけ同じ条件で、同じように届ける必要がある。
熱に反応する時計
温度も精度を狂わせる。英国からカリブ海へ向かう船では、時計は大きく異なる熱環境に置かれる。金属の寸法も、ばねの性質も、温度によって変わる。
ハリソンは鋼と真鍮を組み合わせたバイメタル式の温度補償を用い、ひげぜんまいの実効的な調整に働きかけた。二つの金属は温度変化に対して膨張の仕方が異なる。その差を、補正動作として利用したのである。
言い換えれば、H4は電気もセンサーもソフトウェアもない時代に、素材と幾何学と弾性だけで「暑さを感じ取り」、その影響の一部を自動的に打ち消していた。
1秒に5回のビート
H4の特徴の一つは、耳でも分かった。Royal Museums Greenwichが表現するように、その秘密は速い刻音に現れていた。
H4は1秒に5ビート。現代の時計用語なら1時間あたり18,000振動、完全な往復運動としては2.5 Hzに相当する。
現代では極端な数字ではない。20世紀には28,800振動/時が一般化し、36,000振動/時のムーブメントも登場した。ただし1750年代の携帯時計として考えれば、H4の調速機が持つエネルギーと速さは非常に大きかった。
目的は単純に「速く動かす」ことではない。十分なエネルギーを持ち、安定した振動を続ける調速機は、小さな外乱の影響を相対的に受けにくい。ハリソンは、海の揺れを時計にとって少しでも無関係なものにしようとした。
すべてを証明するための航海
1761年、ついに実地試験の時が来た。ハリソンはすでに68歳だったため、H4をHMS Deptfordに乗せ、ジャマイカまで運んだのは息子のWilliamだった。
H4は旅の道具として船に乗ったのではない。数十年の研究を背負った「実験」として大西洋を渡った。
マデイラに近づいた頃、後から聞くと出来すぎた話のような出来事が起こる。WilliamはH4を使い、乗組員の予想より早く陸地が見えるはずだと判断した。その予測は船長を驚かせた。
本当の試験はジャマイカ到着後の結果だった。最も広く引用される計算では、約81日の航海後、事前に把握していたH4の歩度を補正すると、誤差は約5.1秒相当だった。経度法が求めた厳しい基準の範囲に十分収まる性能だった。
機械は大西洋を渡り終えた。それでも、まだ正しい時刻を知っていた。
機械は大西洋を渡り終えた。それでも、まだ正しい時刻を知っていた。
それでも、話は終わらなかった
ここで終われば美しい。ハリソンが問題を解く。委員会が確認する。発明者が賞金を受け取る。終幕。
しかし科学と制度と金銭が、そんなにきれいに並ぶことは少ない。
Board of Longitudeは、たった一度の試験だけでは不十分だと考えた。再現性、時計の歩度の評価方法、そして他の時計職人が同等の機械を作れるかという問題が残った。
関係は悪化していく。1764年にはBarbadosへの二度目の大きな試験が行われ、H4は再び厳しい要求を満たした。それでも支払いと条件をめぐる争いは何年も続いた。
やがてBoard of Longitude、英国議会、Astronomer RoyalのNevil Maskelyne、さらには国王George IIIまでが関わることになる。ハリソンは大きな金額を受け取ったが、「2万ポンドの賞金をそのまま獲得した」という簡潔な物語は、実際の複雑な経緯をかなり省略している。
ただし、その頃には最も大切なことは証明されていた。十分に正確な基準時刻を、海を越えて持ち運ぶことは可能だった。
時間が「空間」に変わった瞬間
H4の本当の価値はここにある。
普通、時計が答えるのは一つの質問だ。「今、何時か」。
H4は、もう一つの質問にも答える助けになった。「今、どこにいるか」。
航海士が現地時刻を知り、船内に保持した基準時刻と比較できれば、その差を数学的に経度へ変換できる。
時間が距離になった。テンプの振動が、最後には海図上の座標になる。
時間と位置の関係は、技術がまったく変わった今も続いている。衛星測位も、極めて精密な時間計測から距離を求め、そこから位置を計算する。
もちろん、ハリソンがGPSを発明したわけではない。しかし考え方の連続性は鮮やかだ。自分がどこにいるかを正確に知りたければ、まず時間を驚くほど正確に扱わなければならない。
H4は「完成形のマリンクロノメーター」ではなかった
19世紀に船へ広く普及していくクロノメーターは、H4をそのままコピーしたものではない。Pierre Le Roy、John Arnold、Thomas Earnshawらが、より単純で実用的な方式を発展させ、海上精密時計の形を変えていった。
Board of LongitudeはLarcum KendallにH4のコピーを製作させている。1769年に完成したK1は、のちにJames Cookの航海に同行し、この方法が実際の海で有効であることを強く示した。
H4は複雑で高価すぎた。そのまま全ての船へ広がる時計にはなれない。それでも、その歴史的価値は少しも減らない。
H4の役割は、後世のクロノメーターの設計図になることではなかった。多くの人が現実的ではないと考えたことが、実際にできると証明したことにある。
「正しくなければならない機械」の美しさ
現在、H4のムーブメントを見ると、どこまでが工学で、どこからが工芸なのか分からなくなる。細かな彫金、透かしのような部品、青焼きされたネジ、磨かれた面。精密機器でありながら、視覚的にも強烈な存在感がある。
CNCも、放電加工も、工業生産された人工ルビーも、現代的な加工公差もない時代だ。部品の一つ一つを考え、作り、合わせ、調整し、組み立てる必要があった。
そして完成した機械を、大西洋へ送り出した。
H4が250年以上たった今も人を惹きつけるのは、史上最も正確な機械式時計だからではない。そうではない。すべての現代時計がH4から直接生まれたからでもない。
H4は、世界との関わり方を変えた、数少ない機械の一つだから重要なのだ。
ハリソン以前、時計は一日の予定を整える道具だった。ハリソン以後、時計は船が大陸を見つける手助けまでできるようになった。
ジョン・ハリソンは人生の大部分を、荒れる海の中で「数秒」を守ることに費やした。
そして最後には、それよりはるかに大きなものを手に入れた。
時間を、座標へ変えたのである。
H4 基本データ
| 項目 | H4 |
|---|---|
| 完成 | 1759年 |
| 開発開始 | 1755年 |
| 種類 | Marine timekeeper / 高精度海上時計 |
| 文字盤 | 直径102 mm |
| 全体寸法 | 165 × 124 × 28 mm |
| 重量 | 1.45 kg |
| 振動数 | 1秒5ビート、18,000振動/時、2.5 Hz |
| 脱進機 | ハリソンが改良したverge escapement、ダイヤモンドパレット |
| 調速 | 高エネルギーのテンプ、鋼製ひげぜんまい、温度補償 |
| 動力伝達 | Fusee、maintaining power、remontoire |
| 最初の主要海上試験 | HMS Deptford、ジャマイカ航海、1761-1762年 |
| 第2回試験 | Barbados、1764年 |
| 所蔵 | National Maritime Museum / Royal Museums Greenwich |
出典・参考資料
- Royal Museums Greenwich — H4 collection record
- Royal Museums Greenwich — Longitude found: the story of Harrison's timekeepers
- Royal Museums Greenwich — Octant associated with the HMS Deptford H4 trial
- The Seiko Museum Ginza — John Harrison (1693-1776)
- Hird, Betts & Pratt — The Diamond Pallets of John Harrison's Fourth Longitude Timekeeper-H4, Annals of Science
- Royal Museums Greenwich — K1 by Larcum Kendall
- Royal Museums Greenwich — History of the Royal Observatory Greenwich