歴史
アメリア・イアハートと二度、大西洋を渡った時計
1937年の失踪はあまりにも有名で、それ以前のアメリア・イアハートの歩みまで飲み込んでしまう。しかし最後の飛行よりずっと前、一本のロンジン製クロノグラフは、彼女の人生を決定づけた二度の大西洋横断に関わっていた。世界が彼女を知るきっかけとなった飛行と、彼女自身が操縦士として歴史を刻んだ飛行である。

1928年――まずは大西洋を渡る
1928年6月、アメリア・イアハートは「飛行機で大西洋を横断した最初の女性」となった。ただし、ここは正確に伝えたい。この飛行で彼女が操縦していたわけではない。Friendship号にはパイロットのWilmer Stultz、メカニックのLouis Gordonとともに搭乗した。事実を正しく言うことは、彼女の功績を小さくしない。むしろ、四年後に何を成し遂げたのかが際立つ。
当時の航空では、時間は航法の一部だった。GPSも現代的なアビオニクスもない時代、経過時間は針路、速度、燃料、位置を考えるための重要な情報だった。ロンジンは早くから航空計時に関わっており、同社の資料では、イアハートが1928年と1932年の大西洋横断でCalibre 13.33Z搭載クロノグラフを使用したとされている。
13.33Zそのものも重要なムーブメントだ。1913年に登場し、腕時計用として設計された初期のコンパクトなクロノグラフの一つで、りゅうずと一体化したプッシャーで操作する。クロノグラフがまだ「便利な複雑機構」というより、測定器の色合いを強く持っていた時代の時計だった。
1932年――今度は一人で
四年後、イアハートはまったく違う立場で大西洋に戻った。1932年5月20日、ニューファンドランドのHarbour Graceを離陸し、単独で大西洋横断に挑戦。14時間56分後、北アイルランドに着陸した。女性として初めて、大西洋を無着陸・単独で横断した瞬間だった。
ロンジンはこの飛行についても13.33Zクロノグラフとの関係を記録している。現代の操縦環境から想像すると忘れやすいが、当時のコックピットには騒音、振動、変わりやすい天候、不完全な情報があった。パイロットは時間、速度、燃料、位置を常に判断へ変えていかなければならない。
時計が飛行機を飛ばしたわけではない。危険を消したわけでもない。ただ、信頼できる基準を一つ増やした。だからこそ、20世紀前半の時計と航空はこれほど深く結びついたのだろう。
記録を、次の扉を開くために使う
イアハートは、記録が単なる数字以上の意味を持つことを早くから理解していた。1929年には女性飛行士による組織The Ninety-Ninesの設立に関わった。彼女の知名度は、航空という新しい世界が男性だけのものではないことを示す力になった。
技術、危険、社会的な注目。その三つが重なるからこそ、彼女と航空時計の物語は魅力的だ。一方で、時計史では注意が必要でもある。ある時期の関係がきちんと記録されていると、その時計を後のすべての出来事にも登場させたくなる。
確実に言えるのは、ロンジンが13.33Zを1928年と1932年の大西洋横断に結びつけていることだ。1937年の最後の飛行にも同じ時計があった、と断定できるだけの同等の資料はない。そこは、曖昧なまま残すべき部分である。
1937年――謎には、時計を足さなくていい
1937年、イアハートは航法士Fred Noonanとともに、赤道に近いルートで世界一周飛行に挑戦した。6月1日にマイアミを出発し、6月29日にニューギニアのLaeへ到着。7月2日、太平洋中央部の小さなHowland Islandを目指して飛び立ったが、二人が目的地に着くことはなかった。
失踪は20世紀を代表する謎の一つになった。だからこそ、特定のロンジンを最後のコックピットに置き、そのまま太平洋へ消えたと語りたくなる。しかし、分からないことを魅力的だからという理由で断定する必要はない。
このクロノグラフには、すでに十分な物語がある。世界がイアハートの名を知り始めたとき、大西洋を一緒に渡った。そして四年後、彼女が「有名な女性搭乗者」ではなく、一人のパイロットとして自らの力を証明したとき、もう一度大西洋を渡った。
伝説とともに消えた物より、伝説が生まれる瞬間にそこにあった物のほうが、時に多くを語る。