歴史
ロイヤル オーク――「失敗作」という神話が生まれた成功作
ロイヤル オークには、あまりにも語りやすい伝説がある。1972年、オーデマ ピゲが巨大で高価なステンレス製スポーツウォッチを発表した。奇抜すぎて誰にも理解されず、売れず、何年も経ってからようやく傑作と認められた――。ところが、オーデマ ピゲ自身の資料を読むと、話は少し違ってくる。

一夜で描かれたデザインは本当だった
1970年4月10日、バーゼルの見本市を翌日に控え、オーデマ ピゲの販売関係者はジョルジュ・ゴレイに異例の課題を持ちかけた。高級感があり、現代的で、防水性能を備え、しかもこれまでにないステンレス製スポーツウォッチが欲しい。
ゴレイはジェラルド・ジェンタに連絡した。ジェンタはその夜に仕事を進め、翌朝、のちのロイヤル オークへつながるスケッチを提出する。オーデマ ピゲの歴史資料では、着想源として古い潜水用ヘルメットが挙げられている。金属の構造体、目に見える固定部、圧力に耐える機械らしい表情。その要素が腕時計へ置き換えられた。
一方で、「クォーツ危機で倒産寸前だった会社が最後の賭けに出た」という筋書きは、資料とは合わない。1970年までのオーデマ ピゲはむしろ力強い成長期にあった。ロイヤル オークは救命策ではない。高級時計の次の形を探る、意図的な賭けだった。
一晩で描けても、製品になるまで二年
スケッチは短時間で生まれたが、製品化にはおよそ二年かかった。ケース、文字盤、そして一体型ブレスレット。ステンレスを貴金属のような精度で仕上げるため、それぞれ高度な専門技術が必要だった。内部のCalibre 2121は非常に薄く、39ミリという当時としては大胆なサイズに、品のある薄さを与えた。
そして、八角形ベゼルに見える八つの六角形も誤解されやすい。表側から普通のネジのように回して締めるわけではない。六角形の頭部はベゼル側に固定され、ケース裏側からナットで締結し、大きなガスケットを圧縮する。表から見える六角形が整った向きに見えるのは、後から一本ずつ角度を合わせたからではなく、この構造の結果だ。
素材も完成形に至るまで学習があった。初期の一部のスチール部品は海水による腐食が課題となり、オーデマ ピゲは早い段階で該当部に貴金属を採用した。今では完成されたデザインに見えるが、実際には工業的な問題を一つずつ解決して生まれた時計だった。
本当の衝撃は「金より高いステンレス」
1972年4月、バーゼルで発表されたロイヤル オークの価格は3,300スイスフラン。当時、オーデマ ピゲ自身のカタログには、それより安い金無垢時計があった。ある金無垢モデルは2,990フラン。つまり挑発的だったのは、ただ大きいことでも、ネジが見えることでもない。素材価値ではなく、デザインと加工、仕上げに対して高額を払ってほしいと市場に迫ったことだった。
当然、戸惑いも批判もあった。しかし、「まったく売れなかった」という後世の伝説とは数字が合わない。1972年に565本が生産され、490本が出荷された。オーデマ ピゲにとって、同一モデルの年間出荷としてすでに記録的な数字だった。翌1973年、ゴレイはロイヤル オークをベストセラーと表現している。
それでも失敗神話が残ったのは、物語として出来が良すぎるからだろう。奇抜な外観、常識外れの価格、そして後年の圧倒的なアイコン性。初期に存在した戸惑いが、いつの間にか「誰も欲しがらなかった」という話へ膨らんだ。
真実のほうが、十分に大胆だ
神話を訂正しても、ロイヤル オークの革新性は薄れない。むしろ本当のリスクが見える。ステンレスのスポーツウォッチを、オートオルロジュリーの仕上げで量産する。ブレスレットをケースと一体の建築として考える。そして、金の重さではなく、加工とデザインに価格をつける。
ロイヤル オークは、いまでは当たり前になった「ラグジュアリースポーツ」というカテゴリーを形づくる大きなきっかけになった。1972年に突きつけられた問いは単純で鋭い。ステンレスが金より高くてもよいなら、私たちは高級時計の何にお金を払っているのか。
その答えは、時計業界の価値観を変えた。ロイヤル オークは、失敗から成功へ変わった時計ではない。成功したからこそ、後世にドラマチックな「失敗作」の神話をまとった時計なのである。